おじさんの独り言

2008.03.10

関門トンネル50周年 下関散策

 3月8日(土)、ひょんなことから、日頃の運動不足解消に関門トンネル人道を歩いてみたいと出かけた。
 和布刈神社前の駐車場に着いたのが、11時過ぎ。関門の潮の流れは速く、東行きの船は喘ぐように進み、西行きの船はすいすいと進む。その向こうには下関が一望。これから歩いて行く対岸に思いを馳せる。
 早速、人道へのエレベータに。乗ること30秒、正確な深さをメモするのを忘れたが、ビル10階に相当する深さまで下りる。エレベータを降りるとエントランスにいろんな掲示があり、興味深く見渡す。
 なんと、「関門トンネル開通50周年」の掲示。小倉に生まれ、車で何度もトンネルを通ったが、人道を通るのは、60歳にして、初めて。
 1958年3月9日に開通。私のトンネル初歩きはわずか4時間足らずの下関散策であったが、記念すべき、楽しい一時となった。
 人道トンネルの長さは海峡の幅と同じ、780メートル。なだらかな下り坂から始まるが50年前の開通と同じ景色だろう。違うのはやや殺風景な壁に書かれた魚のペイントだろうか。途中、50周年を記念した北九州市の小学生の絵が展示。そして、歩くこと6~7分で福岡県・山口県の県境に到達。通路に書かれた県名の前で記念撮影をするカップルが楽しそう。この県境を境になだらかな登りに。そして下関側のトンネルエントランスに到着。歩いた時間は15分程度。
 エレベータで地上に出、みもすそ川公園から関門海峡、和布刈を遠望、関門大橋を見上げる。見た目には15分の距離とは到底思えないと驚く。そして、みもすそ川公園で出迎えてくれたのが、紙芝居「源平合戦」であった。70歳くらいのご老人が源平時代の衣装に身を包み、源氏・平家の壇ノ浦決戦の様子を語っていた。何度か源平合戦を見聞きしているが、紙芝居で聞く合戦の様子も海峡を前にするとリアルに聞こえる。10時から3時まで、ボランティア活動とのこと、ご苦労様です。
 彦島側に陣を張る平家は、合戦当初、東行きの潮の流れに乗って、源氏を追い詰めるも、潮の流れの変わること見越した源氏の粘りが西行きの流れに乗じて逆転、勝利したという。負けを覚悟した平家はわずか8歳の安徳天皇ともども海峡に身を投じたという。
 紙芝居の後は、源義経・平知盛の像を眺めながら、一路、昼食場所に決めた唐戸市場を目指すことに。
 みもすそ川公園から唐戸市場までは1.5キロメートルくらいか。海峡沿いの歩道を一路西へ歩を進める。途中、赤間神宮、日進講和記念館を右に見ながら唐戸市場に到着。市場の駐車場へ入る車もかなりの数だ。
 12時を過ぎていたせいか、市場の店は店じまい前の雰囲気、実際1/3くらいが店じまい。ふぐ商品、鯨商品と普段見かけない商品が所狭しと並んでいる。安いのか高いのかよく分からない。
 目的の昼食は市場の中央にある寿司がメイン。多くの人が店頭に我先にと注文している。1貫200円から500円の寿司が飛ぶように売れている。トロがなぜあるのか不明だが1貫500円の大トロ、カレイの縁側、鯛、アジ、あなご、イカなどなど、20貫弱(3人分)で4000円。結構高いとイメージを持つ。
 買った寿司はトレイに入れてもらい、食べる場所探し。市場のテーブルは満席、やむを得ず、海峡の見える公園に移動、ここも人ばかり、漸く、枯れた芝の上で昼食。旨さは値段の割りに中くらい、でも雰囲気は最高。
 昼食後も市場を散策、目に付いたのはふぐ、サザエ、あわび、鯨か。
 帰りは家内の希望で赤間神宮にお参り。赤間神宮の隣にはふぐ料理を有名にした日進講和記念館と春帆楼がある。いまも春帆楼はふぐ料理の老舗で有名。
 赤間神宮は正面の水天宮が入り口だ。この水天宮は竜宮城と同じ形。水天宮を抜け、本殿に参った後、芳一堂に足を向ける。祭られた木造の耳なし芳一像を見るが物語は思い出せない。平家の墓群もあり、しばし、昔にタイムスリップした思いに。
 そろそろ、帰路にと赤間神宮を後に。海岸沿いを歩くとかなりの太公望が目に付く。何がつれるのだろうか。釣りの好きな人を太公望というが、歴史書によると、太公望は軍師で、戦いの時期(戦機)を、釣りをしながら待ったといわれており、釣りが得意なわけでもない。長時間、竿を持ち続けることが出来る人が太公望なのだ。
 帰る時は潮の流れが逆になり、潮も引き、海岸線も底を見せていた。そのわずかな地を掘っている釣り人がいる。注意深く見ていると、ゴカイを取っているようだ。こんなところにゴカイがいるとは、この釣り人はえさ代がただ。
 3時前にみもすそ川公園に戻ってきたが、ボランティアの紙芝居はまだ続いていた。頭が下がる。このボランティアの話では、この日 の観光客は遠く北海道中標津、愛知、大阪の人がいたと人道トンネルは観光の拠点にもなっている。
 帰りの門司側エレベータの前で待っていると30人弱の集団が旗を持ったガイドを先頭に大挙して、人道トンネルへ繰り出していった。その光景から人道トンネルもひとつの観光資源と認識を新たにする。
 3時前、心地よい汗と小さな発見をお土産に帰路に。
 また、近い内に小さな発見の時を持ちたい。

2008.03.05

「叱る」を考える

 3月弥生。
 春はもうそこに。
 先週、所用があって、行橋に出かけた道中、今川の河川敷に菜の花の黄色が目に鮮やかだった。
 春はもうそこに。
 やがて、こぶしの白い花も咲き始め、春を運んでくるだろう。
 春はもうそこに。
 きっと、どこかで土筆も頭を出してくるだろう。
 春はもうそこに。

 さて、歌手の和田アキ子さんが「おとなの叱り方」を出版した。まだ、手にしていないが興味のある本だ。
 ネットの紹介では「挨拶できないヤツを叱る!/きちんと謝れないヤツを叱る!/公衆マナーの悪いヤツを叱る!/だらしない服装を叱る!/食事のマナーを叱る!/ビジネスのマナー違反を叱る!/「親になる資格がない」おとなを叱る!/不甲斐ない自分を叱る!」とある。
 「叱る」行為を考えると、叱る側と叱られる側の上下関係がある。家庭においては親と子、社会にいては先輩・後輩、年長者と若年者、会社など組織においては上司と部下の関係だ。自分で自分を叱る場合もあるだろう。逆のケース、子が親を叱る、後輩が先輩を叱る場合は、「叱る」といわず、「諌める」と正しいと思うが・・。
 では、なぜ、「叱る」のだろう。
 それは、「叱られる」側に対し、何かのルール違反の再発防止を求め、反省を促すことではないだろうか。これは、ルール遵守、マナーアップ、道徳・倫理にかなった行動などを指導、教えることにほかならないと・・・。小中学校の算数・国語・理科・社会で教えることが出来ない教育が「叱る」目的だと思うのである。
 そして、それは、秩序ある家庭生活や社会生活、会社の円滑な組織運営を目指すものだろう。
昔、怖いもののたとえとして、「地震・雷・火事・おやじ」と言われていた。「おやじ」とはやまじ風・台風が語源と聞くが、私は頭にある「おやじ」は、口うるさく、よく怒鳴り、叱る町内のおじさんと今も思っており、いろんなことを学んだように思う。
 いま、社会には、そんな「おやじ」が少なくなり、加えて、家庭で、会社で、「叱る」「叱られる」機会が激減しているように思える。視点を変えれば、「叱り方」が変化、つまり人権尊重の名の下に、「叱る」のではなく「諭す」ことに重きを置き、「叱る」機会が見られなくなったと言えよう。私自身も叱る側の立場が多くなったが、「叱る」よりも「諭す」言い方に変わっている。
 その結果、叱る側の思いと叱られ側の思いに大きなずれが生じているのはないだろうか。
 改めて、「叱る」こと、叱られることが学びの場であることと再認識して道(人生)を歩きたいと思う。

 叱られると逆切れする風潮を危惧する一人として、和田アキ子さんの本が一石を投じることを祈っている。

 春はもうそこに。

2008.02.20

おじさんの独り言

 確定申告が始まった。昨年までは医療費を中心に家内が申告をしていたが、今回は年金生活が始まり、自ら出向く予定だ。還付金が楽しみだけど、家内の管理口座のため、わが手に入らず。

 さて、ある事由から母方祖父と母の兄弟姉妹の戸籍謄本(故人は除籍籍謄本と称す)を入手することになった。
 市民課へ出向き、手続きを始めたが、祖父と姓が違うため、すぐには難しいと思っていたが、直系家族であれば委任状なしでもOKだと、免許証を提示、手続き開始。
 ところが、戸籍謄本はとりたい人の氏名と本籍が必要で、祖父の名前はわかるが本籍がわからず、もうだめだと思いきや、窓口女性から「あなたの戸籍から探して見ましょう」といわれ、私の戸籍、父母の戸籍、祖父母の戸籍と以外の簡単にたどりつくことが出来た。
 しかし、手数料は戸籍謄本5つに上り、3,750円なり。

 一難去ってまた一難。
 入手できた祖父の戸籍から私の知らない母の兄が2名もいることが判明。この知らない伯父さんの戸籍探しが必要になった。どうする。
 窓口女性から、祖父の戸籍から、大分市で除籍謄本の入手が出来ると伺い、市民課の窓口女性から申請用紙と大分市の住所、電話をメモってもらい、手続き開始。
 いただいたメモには、封筒に郵便番号を記し、住所は不要、宛名を大分市役所市民課でOK。郵便番号の威力を改めて知ることに。
 当然、除籍謄本発行の手数料750円は必要で現金でなく簡易小為替なるものがあることを知る。郵便局でこの小為替を手に入れる手数料に300円。750円の額面の小為替がないらしく、500円、200円、50円の小為替を手配、それぞれに手数料が100円。50円の小為替に手数料100円、怒りがふつふつと・・・
 大分市の市民課の女性も親切丁寧であった。送付した書類の不備があり、追加の資料を送付。昨日、祖父の除籍謄本が届いた。しかし、目的の母の兄2名、伯父さんの氏名は記されてない。事前の電話で「問い合わせの伯父さんの記録は廃棄されています」を聞いており、やむをえない。戸籍の保存義務は80年とのことで、伯父さんは除籍後(故人になり)80年を経過しているということだ。結果、伯父さんの名前はわからずまま。ご冥福を祈る。
 日ごろは先祖に無関心であったが、こうして、戸籍調査の過程で学んだことが多くあった。
 北九州市も大分市も謄本の用紙に偽造防止がなされている。北九州市は潜像画像の市章が、大分市はカラーで市の花「さざんか」が印刷されている。また、両市とも市章がすかしで入っている。北九州のすかしはコピーするときっちりと出てくる。こんなことも初めて知ったことだ。
 改めて、小倉北区・大分市の市民課の窓口女性に感謝。

追伸
 2月23日、スーパーオブ原田さんの娘さんがアートクレフで挙式。心からお祝いを申し上げます。
 4月ごろには原田さんもおじじになるとか。
 61歳を目前にした私はややあせりを感じているがこれも運命。3人の子供たちから「結婚します」の報告をいまかいまかと待ちながら、焦りを感じる日々。

異業種交流「北九州GOGO会」

北九州を拠点に活動する、啓発的な意識を持った楽しい仲間で組織される異業種交流サークルです。

  • GOGO会(いけいけ会)とは
  • 入会について
  • お問い合わせ
北九州ギャラリー