50年ぶりに父に再会
2008.07.22
7月例会のアートクレフはタイムスリップしたようで楽しかったです。
7/20 親父の里、加茂町青柳に出掛けた。
小倉から岡山まで新幹線の旅が1時間半、岡山から津山まで、ローカル線で1時間強、津山から美作加茂(みまさかかも)まで因美線で30分。乗り換え時間を含め約5時間の旅だ。
家内と一緒の久しぶりの列車の旅だ。前日のいけいけ会例会で前夜が遅かったせいもあり、岡山まで居眠りの連続。岡山から津山へは快速ことぶきがすでにホームに入線しており、早速、乗り込む。2車両で車内では扇風機が小さな唸りを上げ少し暑い風を運んでくる。そして、定刻通りに発車。
15分もすると町並みがなくなり、緑濃い、風景に一変する。電車の片側には山が迫り、片側は大きな川が眼前に広がり、眠気も起きず、子供のように車窓に目を向ける。ローカル線の良さを満喫する。
約1時間、終点の津山に到着。津山での乗り換え時間は約40分。軽い昼食をと、途中下車で改札を出る。乗り換えの掲示板もなく、案内放送もなく、改札口前の時刻表で乗る電車を確認する。11時36分発を確認。ところがだ、開示板に運休の案内がある。第3日曜日で運休列車が記載されている。私たちが乗る電車も。「えっー!」運休???
次の電車を探すと14時とある。トラブル発生。どうする。駅前は時間をつぶすような施設はまったくない。美作加茂は津山から5~6つ目の駅。タクシーでと所要時間と料金を聞く。30分くらいで、5000円を下らないと。タクシーで行くことを決め、小さなうどん屋で昼食。私が焼きうどん、家内がわかめうどん。麺は冷麦のような細麺。麺の太さも所変わればサイズがかわるか?
タクシーに乗り込んでから二つ目のトラブル。車内が蒸し風呂なのだ。最初は客待ちで冷えていないと思っていたが、どうも故障らしい。運転席の窓は大きく開いたままで、長距離の客にめぐり合え「ありがとうございます」と言うものの、エアコンの件は何も言わない。エアコン尾吹き出し口に何度も手をやるだけ。家内が窓を全開、私も全開、しぐさから故障とわかり、文句も言えず、我慢の蒸し風呂タクシーの旅は続いた。
私も久しぶりの加茂入りでおばさん宅をうる覚え。地図で行き先の「加茂町青柳」を示したのも関わらず、青柳に入ってもひたすら走り、目印を探そうとしない。見覚えのあるところを過ぎて、運転手に停止を命じ、Uターン。徐行を命じて、家並みを確認。ここだとあぜ道のような細い道路に入るように指示、家の前の表札を見て着いたと安堵。料金は6130円。運転手からエアコン故障の侘びの声はなかったが、わざわざ降りて手書きの領収書を持ってきてくれた。最悪のタクシー運転手へありがとうと一言???
訪れた目的は父の遺骨を小倉に移すため。父は私が6歳のとき天国へ召され、その折、祖父が父のふるさとに納骨したもので、この55年間、おじさん・おばさんに守っていただいていた。直接言われたことはないが、私が成長した折に、小倉へつれて変えることのなっていたらしい。父に55年ぶりに会い、小倉へ戻るための旅だった。
父のふるさとを訪れるのは子供の頃を除いて、3度目。最初は20代。そのときの記憶は30センチくらいの石が石塔の変わりにおいてあったが、祖父が生前に自分の墓を作るときに父の石塔をつってくれたらしく、祖父,戦死した父の弟、そして父のものが並んでいた。どうも、代々の墓でなく、夫婦がひとつの墓に入るらしく、多くの墓がある。
お坊さんのお経の後、いよいよ、骨壷探しだ。自分のイメージは「墓の下に小さな部屋があり、そこに骨壷が並んでいる」だが、前面の石を除けると部屋はなく、土を掘り、骨壷が出てきた。入り口が小さく、石塔を除き、骨壷を掘り出す。素焼きの壷についている泥を取り、蓋を開けると父の骨が・・・55年ぶりの再会である。蓋の下にあった父の骨はいま、骨上げをしたかのようにきれいであった。この再会を待っていたかのように。これからは小倉の納骨堂に納め、これまで出来なった供養を行いたい。
掘り起こした骨壷をおいた仏壇を前に、手伝ってくれた親戚の皆さんとしばしの小宴となったが皆さんと自分とのつながりがわからない。しかし、手伝ってくれた一人が只友家の家系図を巻物にして作ってくれており、その巻物で手伝ってくれた人とのつながりがわかった。
巻物の家系図は祖祖父只友近四郎が基点。近四郎の父が虎蔵、その父が龍治朗、兄が鉄五郎。近四郎の子供は12人。長男米逸が祖父だ。手伝ってくれた人は、祖父米逸の縁続きの人たちだった。いとこはわかるが祖父の兄弟の子、孫は何というのかわからない。父のふるさとは「只友さん」が右に左に多くいた。
母方の兄弟についても知らない伯父さんが二人いたことを春先に知る機会が会ったが、今度は父方の家系がわかり、父の供養とあわせ、忘れられない一日となった。感謝、感謝である。
父のふるさと、岡山県津山市加茂町青柳を少し触れたい。
平成の大合併で苫田郡から津山市になったが、鳥取に近い中国山脈の中央に位置する農業・林業中心とする山村である。市街地のうだるような暑さと違った暑さ、玄関、縁側など開け放し、暑いと口には出てこない暑さ。草いきれもかぐわしく、空気も美味しく感じる。鳥の声、虫の声、そして、川のせせらぎが涼を運んでくる。土産にと貰ったきゅうりは瓜のような太さ。何もかもがやさしく心に残った。
美作加茂駅から1両編成の電車で帰途についたが、集客数12名。次の電車は1時間後。別れを惜しむように見送ってくれたいとこの富美雄さんに感謝。
前回、水彩画へチャレンジを宣言したが、まだ、用具の選定で迷っている。普通の水彩画(不透明水彩)と透明水彩がある。絵の具の違いのようだが・・・いずれにしろ、近い機会に用具購入を行いたい。